shigelab   history reserch staffs news publications join us join us links english

教室歴

■口腔生理学講座の創設
 1967(昭和42)年4月九州大学歯学部が設立され、翌1968年4月口腔生理学教室の開設と共に栗山煕教授が医学部から就任した。栗山教授の着任後半月遅れで伊東祐之が農学部大学院修士課程を修了して助手として、同年9月に英国留学から帰国した長琢朗が医学部講師から助教授に、翌年4月に坂本康二が医学部助手から歯学部助手に着任した。

■初代・栗山煕教授時代の口腔生理学講座
 1969(昭和44)年4月に歯学部研究棟が新築され、移転して2年の間に歯学系研究生(大部彰義、山本泰、桝田耕二、中村修一、高橋祥一郎ら)、医学系研究生(大島一寛、目方文夫、多賀福太郎、曲淵徹雄、栗原敏ら)さらにK.E. クリード(K.E. Creed、英国)とC.S. ベック(C.S. Beck、米国)の研究留学生が加わり、狭い教室は過密状態となった。1971年から坂本助手が英国ケンブリッジ大学に留学し、1973年帰国後福岡大学医学部生理学助教授に栄転し、代わって理学部大学院博士課程をおえた鈴木光が助手に就任した。同年末から2年間伊東助手が英国ロンドン大学カッツ(Katz)教授の下に留学したが、若い研究者が次々と教室を訪れ、短期長期を含め、いつも十数名が狭い研究室で汗を流した。1972年に電子顕微鏡、1973年に凍結乾燥切片成機などが購入され、九州大学と熊本大学の理学部から西尾優子、森田鏡子両研究生が参加して組織学的研究も本格的に始まった。1974年4月大学院歯学研究科開設と共に安部喜八郎、平岩徳一、三島和夫の3名が大学院第1期生として入学し、学部の講義実習の他に大学院の教育と研究指導も始められた。翌1975年北村憲司、笹本一茂が大学院に入学した。さらに翌1976年平田雅人(現口腔細胞工学分野教授)が大学院に入学した。1976年11月栗山教授は九州大学医学部薬理学教授に転出し、翌1977年3月まで歯学部教授を併任して教育と研究指導を続けた。1977年2月長助教授は山口大学医学部生理学教授として転出し、伊東助手も同年4月医学部薬理学助手に転出し、鈴木助手と大学院生以外の共同研究者も医学部薬理学教室へ異動することとなった。  

研究内容:
 最初期の研究の主なテーマは胃、結腸、尿管等の平滑筋やミミズ体壁筋(斜紋筋)の電気生理学であった。その後、研究も多岐にわたり、尿管(大島)、膀胱(クリード(Creed)、栗原)、胃腸(目方、伊東、ベック(Beck))、血管(坂本)、子宮(長、曲淵、多賀)などの平滑筋の電気生理、ミミズ斜紋筋(田代、伊東)と金魚消化管(伊東)の神経性制御の電気生理、さらに咀嚼筋や喉頭筋(大部、山本、桝田、高橋)の組織化学など口腔領域の研究も行われた。学会活動は医学部時代から引き続き、日本生理学会、日本平滑筋学会、さらに1969(昭和44)年から歯科基礎医学会にも参加するようになった。口腔領域の研究では平滑筋の電気生理(三島、北村)、咀嚼筋の組織化学(平岩、笹本)、顎運動の中枢制御機構(安部、笹本)、味覚の電気生理(山根)、平滑筋収縮蛋白の生化学(平田)等が行われた。またこの間、1974年5月に第16回日本平滑筋学会が栗山教授会長の下で福岡明治生命ホールにて開催され、全国の平滑筋研究者が一堂に会した。

■二代目・太田雅博教授時代の口腔生理学講座
 1977(昭和52)年4月栗山教授の後任として太田雅博が医学部助教授から着任した。また、医学部講師から山本毅征がハイデルベルグ大学留学後に助教授に着任し、栗山教授時代から続けて、鈴木光助手(1997年時名古屋市立大学教授)、北村憲司助手(1997年時福岡歯科大学薬理学教授)、能見光雄助手(1997年時佐賀医大助教授)により太田研はスタートを切った。1978年に三島和夫が、1979年に笹本一茂(1983年講師、1990年助教授)が助手として着任した。1981年より2年間、笹本はモントリオール大学ルンド(Lund)教授の下に留学した。また、同年1月より医学部から石塚智が助手として着任した。

研究内容:
 研究面では初期には血管と腸管平滑筋の電気生理学的研究、胃平滑筋の生化学的研究、平滑筋のCa2+結合蛋白質の研究(東京大学医学部薬理教室との共同研究)、骨格筋収縮のメカニズムの研究(ハイデルベルグ大学生理学教室との共同研究)などを行った。顎運動に関する研究は栗山教授時代からの大学院生達によって着手され、歯学博士第1号を授与された平岩は三叉神経運動核破壊後の顎筋の組織化学的並びに電気生理学的変化を明らかにし、安部(1997年時特殊歯科総合治療部助教授)は顎筋群の筋感覚の中枢伝達経路を追及し、笹本は三叉神経運動核内における運動ニューロン群の局在配列を研究し、それぞれ学位を得た。また、太田と笹本は大脳皮質顎運動野からの下行性投射系について主に電気生理学的に研究し、扁桃中心核からの投射経路についても、対側開口運動ニューロンヘの促進が主で、最短経路は2シナプス性であることを明らかにした。三島は体性感覚の視床一皮質伝達系に関する研究と、第一補綴の小林仁一助手と共に痛覚について研究を行った。石塚智助手は主に外乱による種々の細胞の電気活動リズムの非線形応答(カオス)の研究を、九州工業大学工学部林初男助教授と共同で行い、またイソアワモチニューロンのGABA受容器特性の解析を医学部教授の赤池紀生、歯学部歯科麻酔科教授池本清海等と共同で行った。
 栗山教授も太田教授も医学部生理名誉教授問田直幹の門下生で、問田教授の「研究者は自分の望むテーマを自由に研究すべし」というモットーのもとに、和気あいあいとした雰囲気で教室は活動した。(ここまで「九州大学百年史」より抜粋)

■三代目・二ノ宮裕三教授時代の口腔機能解析学分野
 1999(平成11)年12月、太田教授の後任として二ノ宮裕三が朝日大学歯学部助教授より着任し、主な研究テーマが顎運動の電気生理から、味覚の受容・伝達・修飾機構と生理機能の解明へと移行した。太田教授時代から引き続き、笹本助教授、三島助手、石塚助手を合わせ、二ノ宮研究室としてのスタートが切られた。1999年に大学院生として在籍していた安松啓子(学位取得後、本分野特任講師・朝日大学准教授を経て2016年現在九州大学嗅覚味覚センサ研究開発センター准教授)が参加した。2000年4月より、九州大学の機構改革によって、歯学研究院口腔常態制御学講座口腔機能解析学分野と名称が変わった。同年はテクニカルスタッフとして川東由利子が、学術研究員として歯内疾患制御学より重村憲徳(2016年現在教授)がポスドクとして加わった。 2000年9月に生体応答学講座の客員教授として、当時味覚領域では世界の第一人者であったドイツザール大学医学部のベルント・リンデマン(Bernd Lindemann)が赴任し、二ノ宮が招聘の窓口を担当した。リンデマン教授は半年の滞在であったが、細胞生理学的技術の展開・発展に貢献した。2001年3月に石塚助手が九州工業大学准教授として栄転後、同年4月より重村学術研究員が助手に昇任した。また、新たな学術研究員として理学部より貞光千春が、名古屋大学農学部より鈴木亮が加わった。2002年には学術研究員として農学部より古田洋樹(現日本獣医生命科学大学准教授)が、神戸大学理学部より吉田竜介(2016年現在講師)が加わった。2004年度にはテクニカルスタッフとして安東潤子が加わった。2005年度から学術研究員として顎顔面腫瘍制御学よりアブイスラムが加わった。實松(2016年現在助教)は大学院1年時に日本学術振興会の特別研究員(DC1)に選ばれた。大栗は大学院2年次に特別研究員(DC2)に選ばれ、3年次で早期に学位を取得した。その後はPDを終え、米国モネル化学感覚研究所に留学した。アブイスラムは後に、ダッカ大学講師として帰国した。2006年度には、笹本助教授がミナギノモリ歯科クリニック院長として転出するのに伴い、吉田学術研究員が助教に昇任した。学術研究員(特任助教)として東京電通大学より村田芳博が加り、2009年に高知大学医学部助教として転出した。また、2006年度より3年間、二ノ宮が日本味と匂学会会長に就任したため、当分野にその学会本部事務局が置かれ、会計・広報なども含め多くの業務を担った。2009年、三島准助教の定年退職に伴い、實松が助教に就任した。また、1999年から定年退任2016年3月までの間に、研究補助員あるいは技術補佐員として、尼崎法子、イケダ(室谷)春江、武谷美佐子、松崎有希、山下敦子、井上真由子らが参画し、教室の事務、研究に協力した。

研究内容:
 二ノ宮は着任年度が開始年度である生研機構プロジェクト「味覚受容機構の解明」に採択されており、遺伝子変異マウスの作出や、遺伝子・分子や細胞・神経・行動応答の解析に必要な新規大型実験機器などを導入し、実験システムの立上げ・整備を歯学部研究棟改装工事の中で始めた。
 研究成果は、味覚受容体遺伝子群の発見をはじめ、味覚受容・細胞内伝達機構、味特異的情報伝達機構、食調節ホルモンの味修飾機構、口腔-脳-腸連関の食調節機構など、味覚情報受容・伝達・食調節における多くの謎を、世界に先駆け、独自の研究手法で追及し解明し、Nature, Science, PNAS誌などに発表した。

■四代目・重村憲徳
 2016(平成28)年4月、二ノ宮教授の後任として重村憲徳が准教授から昇任した。吉田講師、實松助教、新たに高井信吾が助教として加わり、重村研究室がスタートした。主な研究テーマは二ノ宮教授時代の「味覚の分子神経機構の解明」を引き継ぎ、さらに「味覚障害」など臨床との関連研究も開始し、「味覚健康科学」そして「味覚再生」の2つのプロジェクトを推進することとなった。

sanmy